今から78年前1945年(昭和20年)7月24日アメリカの大型爆撃機ボーイングB29(Bというのは爆弾Bomの略)が飛来して爆弾や焼夷弾を津市全域に落としました。沢山の人々が命を失い住む家も失われました。1500人の方々が亡くなったと言われます。その日聖ヤコブ幼稚園の園長先生であり聖ヤコブ教会の牧師でした西田彌吉司祭が直撃弾で亡くなったのです。幸い夏休みで幼稚園の子どもたちは園にいなかったので犠牲にならなかったのですが一瞬で幼稚園と教会の建物が無くなったので1945年度(昭和20年度)の卒園式1946年3月にできませんでした。今の津市役所の前のお城西公園に戦災前は三重県立師範学校があったそうでそこを狙った爆弾が逸れて教会:幼稚園に着弾したということを聞きました。焼野原になってしまった津の町、なんと時計台のある幼稚園前の交差点から大門の津観音の大仏様が見えたそうです。すべてが焼けてしまったのです。ただ不思議なことに津観音の大仏様だけが焼け残ったそうです。
戦争が終わって日本は78年間どこの国とも戦争していません。ただ戦争をしていない他国と紛争をしていないことが平和な国の十分条件とは言えないと思います。平和な国には自由と幸せ感に満たされ人々が繁栄していることが条件と言えるのではないでしょうか?そういう意味では軍用機が飛び交い大きな米軍基地を抱えながら沖縄県は現在平和なのかな?と思います。7月と言えば七夕まつりですが願い事を短冊に書くとき本当に「世界平和」を望んで書く気持ちがあるといえるでしょうか。平和ということを何か漠然としたものを望んでいるようでなりません。ウクライナで起きていることが本当に身近に感じる感性が必要な気がします。
僕が後援会長をしている京都民際日本語学校にシリアから難民認定を受けた学生がいます。シリアの内戦で家族と片足を失い日本にやってきました。「平和になったらシリアに帰りたいのではなくシリアを日本のように安心して暮らせる国にしたい。平和を作り出せる人になりたい」彼は言います。ロシアから留学していた学生とウクライナから来た学生が春に卒業していきました。2人とも優秀な学生でした。帰国して2人はどうするのでしょうか。
「平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。」
【新共同訳】マタイによる福音書5章9節