今年は特に暑くゲリラ雷雨というような天候に悩まされる夏休みでした。また何より新型コロナ肺炎感染拡大に警戒しなければならず予定していた夏休み中の行事(サマースクールやお泊り保育等)を余儀なく中止しなければならなかったことが残念でした。コロナ禍3年目の2学期が始まりました。
そして超少子化の中、私立幼稚園は2023年度新入園児願書受付が9月1日から始まりました。聖ヤコブ幼稚園におきましても私立幼稚園としての品位を保ちあくまで幼児教育に軸足を置きながら子どもたちに無理のないような学校行事を行えるような2学期にしたいと考えています。どうぞご理解ご協力よろしくお願いします。
イエスさまは「誰でも高ぶるものは低くされ、へりくだるは高ぶられる」といわれました。人から評価されたい、認められたいという気持ちは誰にでもあるものです。業績、経歴、実力、能力、地位において他人より優れていると思われたいものです。特に処遇など差が出る場合なおさらです。ところがイエスさまの教えはかなり厳しいようです。「たかぶる」とは名誉とかお金とかいろんなものを身につけて、自慢をして、自分を大きく見せている状態のことではないでしょうか。実際ただ見かけ上高ぶった人と会うと嫌な気持ちになります。自分がその人によって裁かれていて弱みを見つけられたら付け込まれてくる感じがするからです。イエスさまを陥れようとするユダヤ教指導者たちがそうでした。彼らは自分たちのようにできない人を、罪人とみなし、追い出そうとしていました。
その反対の人間としているのがマリアさまがいます。マリアさまは「私の魂は主をあがめ、私の霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったから。今から後、いつの世の人も、私を幸いな者と言うでしょう、力ある方が、私に偉大なことをなさいましたから」(ルカ1-47-49)
有名な「聖なるマリアのうた」と言われています。
自らを自慢して高ぶる人、そしていつも人と争って人を低く見下そうとする人たち、それは私たちなのかも知れません。実のところは自分に自信がなく、不安があり、本当のところで自分自身を支える心の基盤がないからなのでしょうか。でも大切なことは、こういう人たち、私たちのためにこそ、神さまがイエスさまを送ってくださったということなのだと思います。
相田みつをさんの「人間だもの」という詩集があります。
「あんなに世話してやったのに、ろくな挨拶もない、あんなに親切にしてあげたのに、あんなに一所懸命つくしたのに、のに、のに、のにが出たときはぐち」とあります。
このような不満な気持ちを持つのは人に親切にするときどこかに相手からの返礼や、見返りを期待しているからではないでしょうか。
厳しい時代の幼児教育の中、見返りを求めない愛の精神を決して忘れない2学期にしたいと思います。