今月の聖句をもう少し、掘り下げて考えてみたいと思います。
先日4月22日の日曜日は伝統的に「良い羊飼いの主日」といわれます。
日本聖公会では、「良い羊飼い」つまり「良い牧師」となれるよう、準備の期間を送っている神学校のためお祈りする日と定められています。
さて、この箇所、良い羊飼いと悪い羊飼い、誠実な羊飼い、不誠実な羊飼いの対象がみられます。
パレスチナ地方では徹頭徹尾、羊飼いは羊に対しての責任がありました。それは、羊は自分のものではなく、主人から預けられた大切な羊だからでした。万一羊に何かが起きると、過失責任が自分に無いことを証明しなければならなかったのです。
つまり羊飼いは、羊が死んだこと、その死が不可抗力であったことの証拠品を持ち帰る必要があったのです。真の羊飼いは羊の為に危険を冒すことに躊躇しないのです。
一方、偽りの羊飼い、不誠実な羊飼いもいます。大変な違いがあります。本当の羊飼いは子どもの頃から羊の中で一緒に寝起きして暮らします。羊飼いは羊の中で羊のことを先に考え行動するようになります。
でも、偽の羊飼いは給料をとるためたまたまその仕事にありつき即席に仕事を覚えたものなのです。彼にはこの天職に対する誇りと責任がありません。
狼は羊にとっては大変な脅威であります。
イエスさまは「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ(マタイ10:16)」とまでいっています。狼が襲って来たとき、悪い羊飼いは自分の保身のみで逃げ去ります。報酬目当てで生きる人は、金以外のことは考えないものです。
愛に生きる人は、何より先に人のことを考えるものです。
そのようにイエスさまは言いたかったのではないでしょうか。
つまり、イエスさまは自分をよい羊飼いであるといっている意味でしょう。
イエスさまは羊(人々)を深く愛し、その安全の為自らは危険を冒し、ついに命を与えられたのです。
この箇所での注目したい言葉に「良い」というギリシャ語です。アガソスでなくカロスということばを使っています。アガソス(『良い』という意味)だけですが、カロスの意味は良いだけでなく、魅力的つまり能力や誠実さ以上に、優しさが含まれている言葉なのです。
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・・ 年主題聖句 ・・
「愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。」
~ ヨハネの手紙Ⅰ 4章11節 ~
聖書の愛という言葉には2種類あります。「神の愛」「人間の愛」前者はアガペー(ギリシャ語)、後者をエロス(ギリシャ語)神の愛は見返りを求めない、只々一方的に与え続ける愛を指します。後者の人間の愛も決して悪い愛ではないのですが、見返りを求めてしまう人間らしさを持った愛です。だから失恋したときなど心に痛手を受けますよね。神の愛は人間の中にも存在します。わが子を思う親の愛などは見返りを求めていません。愛された子どもは人を愛することができます。私たち人間はすでに神さまから愛されているのですから、互いに愛し合うことができるはず、とヨハネは言っているのです。
・・ 聖句と今月のみことば ・・
「わたしは良い羊飼いである。」
~ ヨハネによる福音書10章11節 ~
まさに教会の牧師が、なぜ「牧師」と呼ばれるかというのは、この聖句から由来するのです。イエスさまが私たちの大牧者であり、わたしたちはその羊なのです。良き羊飼いは、自分に預けられた羊のためなら命を懸けるのです。