園長先生のコラム

コラム 【 2017年10月号 】 「 その時 」

旧約聖書のコヘレトの言葉 3章1節以下に有名な言葉があります。

「何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」

時という概念は聖書から見ると2種類あるといわれます。
1つにクロノスといわれる言葉であらわされる、いわば時計の針が刻む量的な時間のことです。秒、分、時間、日、週、月、年などです。
もう1つはカイロスと言う言葉であらわされます。それは独自で質的な「時」を意味します。「大切な時、決定的な瞬間」を意味します。

幼稚園の子ども達はもちろん私たちもそうなのですが、クロノスによって予定を立て、毎日を送っています。
ところが園児の中には中々「今の僕はその時がきていない」つまり、自分にとって時が充ちていないというか、なかなかプログラムに沿うことが困難な子がいます。
小さなこと、たとえば跳び箱に向かってスタート突進するときの「タイミング」、踏切板を蹴る「タイミング」などから始まり、幼稚園行事そのものが「いつもと違う時」がそこに存在し、「僕は(私は)その時を理解し難いし、その時ではないからいやだ、したくない」ということなのでしょうか。
教師たちは戸惑うことがあります。園長も、「今日はこの子は無理かも知れない」と諦めかけたとき、ある教師が「少し時間ください」とその子に関わりました。時間がかかったのですが、やっと「その時」がその園児にもやってきたのでしょう。ぐずっていたその子は行事にとけこんでいきました。

私たちは同じ時代に、同じ時の流れの中で過ごしているかのように感じているのですが、実は個人レベルでは、全く別の「時の流れ」の中にいるのかも知れません。
2学期の色々な行事に追われる毎日の中にあって、子どもたちの個々の成長と時の流れ、そして決定的な重大な「」を逃さない教育に心がけたいと思います。

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・・ 年主題聖句 ・・

「あなたがたは神に愛されている子どもです。」
~エフェソ 5章1節~

「天上天下唯我独尊」という言葉があります。
「天に於いても地においても私という存在は独りであるがゆえに尊い存在である」という意味です。どんなに辛いとき寂しいときでさえも自分は神さまに愛されている存在、神さまの子どもとして生かされていると信じたいものです。

・・ 聖句と今月のみことば ・・

「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。」
~【新共同訳】創世記12章4節 ~

旧約聖書でのユダヤの歴史はこの創世記12章のみ言葉からスタートしていると言っても過言ではないと思います。創世記の1~11章は言わば神話です。神話とは本当にその出来事があったかということが問題ではなく、その話はどのような機能や作用があるかということが大切なわけです。ですからユダヤ民族の父祖である「アブラム」(後にアブラハムと改名)が神の指し示す「乳と蜜の流れる地」、それが何処にあるか、予想もつかないところではあるけれど、彼はその信仰のゆえに一族を連れて旅立つところから壮大な人類救済の歴史が始まったといえるのです。

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