園長先生のコラム

♪ コラム 【 2016年6月号 】 「 恵みの雨 」

6月というと梅雨を思い浮かべます。
恵の雨なのですが、毎日続くとうっとうしくなりますね。
日本では降雨総量の3%の水しか利用しないで残りの97%が直接大地にまた山や平地に降って川となり海へとかえって行くそうです。
ダムを造って工業用水や農業用水、生活用水(飲料、風呂、洗濯)のすべて入れてもその3%の中で使われているそうです。
それに対してイエスさまの生活されていたユダヤの地方ではその逆で降った雨の97%が利用されると言われています。3%が地中に浸透や蒸発だそうです。
もちろん日本に比べてユダヤ地方の降水量が極めて少ないのは否めません。
ことに生活用水〈飲料水〉は主に井戸〈地下水〉に頼っていたようです。

僕は1979年、平和の使節団として独立して間もない国パプアニューギニアに行った経験があります。
3ヶ月ほどジャングルと海に囲まれたいわば陸の孤島というべき(現地の言葉ビナンデリ語では「道路」に相当する単語がない)マナウ村という小さな集落(人口は300年間300人変化なし)で生活しました。
生活した1~3月は雨季にあたるのですがなぜかその年は雨が降らずたいへんでした。
飲料水をはじめ生活に必要な水は屋根から樋で雨水タンクに水を溜めて使いますがその年は何故か雨の降らない日が多くとうとうタンクが空になりカヌーで片道数時間かかるところまで毎日飲み水を汲みに行くこととなりました。
それは危険(大きなサメがうようよ泳いでいます)で過酷な仕事です。
そして世界のどこでも、いつの時代もなぜか水汲みの仕事は女性や子どもなのです。
往復手漕ぎカヌーですから持ちかえられる量は飲料水だけで精一杯です。
もともとトイレという概念のない世界です。僕たちのトイレは大穴を掘って板を2枚渡してあるだけの簡単なものでした。用を足しても手なんか洗いません。
現地の人たちは茂みで用を足します。茂みに入っていくと後から飼っているブタがついてゆきます。
すっきりした顔で茂みを出てくる人の後からブタも舌舐めして出て来ます。何があったのか知りませんが想像がつきます。
いつも裸同然です。大切な儀式は木の皮で造った布(キパクロス)でできた民族衣装です。洗濯もしません。お風呂も入りません。1時間ほどジャングルを歩くと川があります。どうしても身体を洗いたいときは川に入ります。ただし川にはワニがいます。午後5時以降入ると命がありません。

今日も貧しい国ほど水不足は深刻な状況を生み出しています。
病気は清潔な水さえあればかなり防げます。そして食料の生産にも水は必要不可欠です。
大切な水資源としての雨のことを梅雨時もう一度考えてみたいですね。

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・・ 年主題聖句 ・・

「キリストはわたしたちの平和であります。」
~エフェソ 2章14節~

エフェソの信徒への手紙2章11節から22節は「キリストにおいて1つとなる」をテーマに書かれています。一致というのはこの書のテーマでもあります。「平和」の概念はギリシャ語ではおよそ戦争がない時期のことをいいますが平和(シャローム)は神の「真実」や「契約」などとともに用いられ「時期」よりむしろ平和な「関係」を示す語といえます。

・・ 聖句と今月のみことば ・・

「見よ、それは極めて良かった。」
~創世記1章31節~

今月の聖句は、神さまによる天地創造の神話の箇所です。
創世記の12章のアブラムの登場までは神話が続きます。「神話って本当にあった話じゃないのでしょ?」とよく学生に聞かれますが、神話は実話かどうかと言うことが重要ではなくその神話がどんな機能を持っているかどのような作用を及ぼすのかが重要なのです。壮大な自然を見たとき「神さま以外に造れるはずがない」と感じるものです。神さまはこの大自然を創造し「良し」とされたのです。そう「極めて良かったのです」その自然を破壊することは神さまのみ旨に叶うことではありません。つまり悪を行うことなのです。「極めて良い自然」を守りたいものですね。

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