今年も「母の日」5月の第2日曜日が近づいてきました。
僕は1981年の5月10日「母の日」に結婚しました。35年前です。
結婚式の半年ほど前、母は左の乳房に違和感を覚え診察の結果「浸潤性の悪性腫瘍」〈乳がん〉と診断されました。
切除手術をお医者さまから勧められていたのですが、母は「息子の結婚式を終えてから手術する」と聞きませんでした。
やむなく5月の末の手術となりました。和歌山日赤病院で手術しました。
時間も経ってしまって左乳房の全切除、左上腕リンパ切除、一部上腕筋肉切除という大きな手術となりました。
当時の乳がん切除の手術の際は子宮も切除するのが常だったのですが、担当の医師は「最新研究の結果子宮をとる必要は不可避ではない」との考えを説明してくれたので幸い左上半身の手術となりました。
結婚して2週間後に義理の母の付き添いで看病してくれた妻に今更ながら当時のことを思い出し感謝の気持ちが湧いてきます。
手術室から担当医師が出てきてお盆の上に乗せられた乳房(かつて僕が赤ん坊の頃吸っていたおっぱい)を見ました。
お医者さんが乳房を裏返し患部の癌本体を説明してくれました。
その夜は一晩中母の病室で祈り続け「ごめんなさい」と言い続けました。
術後の痛みと熱に苦しむ母を見ていると今までの自分の罪の贖いを母が代わりにしてくれているような思いに駆られたように感じたからです。
事実、そうなのかも知れません。
もちろん牧師として言うならばすべての人の罪を贖ってくださったのはイエスさまの十字架においてなのですが、母に対しての罪を赦し神さまにとりなしてくれたのは母の愛に違いないと思うのです。
その後母は順調に回復し乳がんは完治しました。
2000年夏に原発性(転移ではない癌)の卵巣がんを発症しました。
検査の結果子宮小腸にまで拡がった末期がんでした。
2001年2月26日またも僕の妻に看取られながら静かにその名(母の名は静子)ように逝きました。
「今、一番会いたい人は誰?」と問われたら「母に会いたい」と即答します。
一年を通してたくさんの思い出が母を通してあります。
もう一度会ってあの時言ってしまった傷つけた言葉を謝りたい。
あの時、してくれたことに本当に感謝の意を表したい。
そんな想いをいっぱい持って迎える母の日、今年は5月8日(日)です。
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・・ 年主題聖句 ・・
「キリストはわたしたちの平和であります。」
~エフェソ 2章14節~
エフェソの信徒への手紙2章11節から22節は「キリストにおいて1つとなる」をテーマに書かれています。一致というのはこの書のテーマでもあります。「平和」の概念はギリシャ語ではおよそ戦争がない時期のことをいいますが平和(シャローム)は神の「真実」や「契約」などとともに用いられ「時期」よりむしろ平和な「関係」を示す語といえます。
・・ 聖句と今月のみことば ・・
「神は愛です。」
~ヨハネの手紙Ⅰ 4章16節~
「神は愛なり」 ホ セオス アガペー エスティン 〈新約聖書の原典はギリシャ語です〉神学校に入学後初めて覚えたギリシャ語の聖句です。神さまは3つの位格で人々に関わります。1位格は創造主としての神さま、2位格は私たちの罪を贖ってくださる子なるイエスさまそして、3位格は神と人、人と人の間を行き交う聖霊なる神さまこの神さまが解りにくい神さまなのですが、「愛なる神」だと言われますとよくわかります。