聖ヤコブ幼稚園の園児の皆さん、ご入園、ご進級おめでとうございます。
聖ヤコブ幼稚園に赴任して6回目の春を迎えました。
園庭のブランコの横にある大きな桜の木も満開です。
2011年の秋の台風で大きな枝が折れてしまってその後枯れてしまうかと心配しましたが元気にもちなおし今年も咲き誇っています。
「厳しい冬を越してきたからこそ春を待った甲斐があった。それで一層に美しく感じられるのでしょう」
と以前にも以前コラムに書いたことがありました。
僕は桜の花の好きな理由のひとつに咲いている期間の短さにあるように思います。
1年に1回しか(2回咲く桜もあるようですが)咲かないのですから、もう少し長い間咲いて欲しいのですが咲き始めたら一斉に咲いて、一気に散ってしまいます。
このコラムが印刷される頃には散ってしまっているかも知れません。
初めて故郷を離れ大学に入学する前日、1973年4月2日でしたか、和歌山城の満開の大きな桜を両親と見に行ったのを昨日のように覚えています。
和歌山県橋本市の橋本基督教会の桜の木の下で車椅子に載った父が満開の桜を見上げている姿がまぶたに焼きついています。
父の病床での洗礼式のあとに母の受洗の1994年4月3日イースターの日でした。
父が亡くなった翌年、鹿児島の知覧平和会館にいきました。
父が旧陸軍航空隊でして生前、知覧のことを聞いたことがあり母といっしょにいきました。
そのときも桜が満開でした。
旧特攻基地に咲く桜は美しくもあり悲しくもあり一層に平和を願う思いを持った記憶があります。
齢を経るごとに桜の花を愛でる気持ちが強くなってきているように思います。
たぶん、花の咲く期間が短ければ短いほどに思いきって咲き誇りそして未練もなく散ってゆく姿にその潔さに引かれているのかも知れません。
司祭になって35回目の春です。
もし今自分が天に召されたら、神さまの前に立って「一生懸命冬に耐え、神さまの栄光を人々に示しました。そして何も持たず桜の花のように散ってきました」と言えるだろうか?と考えてしまうのです。
でも難しいことを考えずにやっぱり美しい桜をゆっくり楽しむのが一番いいかな。
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・・ 年主題聖句 ・・
「キリストはわたしたちの平和であります。」
~エフェソ 2章14節~
エフェソの信徒への手紙2章11節から22節は「キリストにおいて1つとなる」をテーマに書かれています。一致というのはこの書のテーマでもあります。「平和」の概念はギリシャ語ではおよそ戦争がない時期のことをいいますが平和(シャローム)は神の「真実」や「契約」などとともに用いられ「時期」よりむしろ平和な「関係」を示す語といえます。
・・ 聖句と今月のみことば ・・
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
~マタイ 14章27節~
お弟子さんたちが小船に乗って波や風に難儀しているの見てイエスさまは湖面を歩いて来られました。弟子たちは幽霊だと行って騒ぎます。そこでイエスさまは「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」といわれたのです。イエスさまは困っている弟子に自ら近づいてこられるのです。何度読んでもすてきな場面だと思います。