園長先生のコラム

♪ コラム 【 2015年11月号 】 「 移民と収穫感謝、そして今難民 」

多くのキリスト教主義の幼稚園では11月に「収穫感謝祭」を行います。
1620年9月、メイフラワー号に乗って英国から信仰の自由を求めて渡ってきた清教徒たちは到着した土地での新しい生活を始めました。英国からの移民してきた人たちです。
移民とは、ある場所から別の場所へ、生活のために(多くは仕事のために)、一時的または永久的に移動する人のことです。
メイフラワー号でやってきた人々の初めての冬、思っていたより厳しいものでした。
男性78人と女性24人の人びとの半数ほどが飢えと寒さで亡くなったのでした。
やがて春が来て先住民族の人びとに助けられ土地を開墾して作物を植えます。
秋となって最初の収穫を得ることができました。
そのことを感謝して先住民族の人びとを招きともに収穫を神さまに感謝したのが起源と言われています。

移民に対して難民と言う言葉があります。
人種、宗教、国籍、若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又は望まないものと定義されています。
旧約聖書の出エジプト記11章14節にこのような言葉があります。
「わたし一人では、とてもこの民すべてを負うことはできません。わたしには重すぎます。」
紀元前1260年以上も昔イスラエルの民がエジプトから脱出してタペラというところに来ました。
泣きながら「誰か肉を食べさせてくれないものか。何でも食べることが出たのに今では、何も食べることが出来ない」マナ(神さまが毎日くださる不思議な食べ物)よりも、この世のものを欲しがったのです。
「神にさえ満足しないのは、多く求めすぎているからだ」といった人がいます。
私たちも神さまの惠に満足しなくていつも不足しているかのごとく不平をいうことがあります。
モーセはこの民の様子をみて、いまさらのごとく、出エジプトの難しさを覚え神さまに訴えます。
「あなたは、なぜ、僕を苦しめられるのですか。なぜわたしはあなたの恵みを得ることなく、この民すべてを重荷として負わされねばならないのですか。・・中略・・わたし一人では、とてもこの民すべてを負うことはできません。わたしには重すぎます。」
私たちはときどき、自分に課せられて問題が「自分には、重すぎる」と思うときがあります。
あまりの荷の重さに投げ出したくなることがあります。
そんなとき私たちの目に入っているのはただ「重荷」であって、そのくびきを共にしてくださっている神さまを見失っていることが多いのです。私は「気負う」ところに落胆があると思うのです。
ヨーロッパに内戦が続くシリアから多くの難民が流れこんでいます。
彼らは小アジアつまりトルコを経て小さなゴムボートに50人も乗って命がけで海を渡りギリシャに密入国します。大金を闇ブローカーに渡し命の保証もないまま海を渡ってきます。実際たくさんの人々が毎日のように亡くなっています。
海岸に打ちあがった子どもの遺体を運ぶ国境警備隊の映像が流れました。70人以上の遺体の入ったトラックが見つかった事件も記憶に新しいと思います。
ギリシャやハンガリーの国の状況を考えても毎日数千人規模の難民ことに宗教や文化、言葉の違いのある人々が国にあふれかえってくる不安は計り知れないものがあると思います。
ところがドイツの名首相メルケルさんはこの難民をできるだけ多く受け入れようと努力しているようです。
ドイツは第2次大戦中周辺諸国に多くの難民を出して助けてもらった経験があるからでしょうか。
ドイツの某難民収容施設の落書きに「もしわれわれが難民たちを受け入れなかったとすればわれわれは人間存在と言えるのだろうか」とありました。
でも、一方では人口30人の村に180人の難民を受け入れなければならなくなった村では数の論理でドイツの村の文化が崩壊しつつあるのも事実です。
ナチスに追われるユダヤ人をリトアニアの領事館で日本を通過するビザの発行を続け数千人の難民を救った元外交官の故杉原千畝(ちうね)というすばらしい方がいます。
国連の日本人初の難民高等弁務官をお勤めになった緒方貞子さんという方もいます。
彼女は「文化、宗教、信念が異なろうと、大切なのは苦しむ人々の命を救うこと。自分の国だけの平和はありえない。世界はつながっているのだから。」と言っています。
使徒パウロは「こういうわけで、わたしたちは、憐れみを受けた者としてこの務めをゆだねられているのですから、落胆しません。」といっています。

自分の力でなくまた人の力に頼るものでもなくただ憐れみをもって召してくださる神さまだけを見て進みたいものです。
そのときには「私には重過ぎます」といわずに生きてゆけるような気がするのです。

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・・ 聖句と今月のみことば ・・

「平和の種が蒔かれ、ぶどうの木は実を結び、大地は収穫をもたらし、天は露をくだす。」
~ゼカリヤ書8章12a節~

預言者ゼカリヤは祭司の家に生まれ育ったことは大いに考えられますがネヘミヤ記12章に出てくる祭司ゼカリヤと同一人物かどうかは不確かです。
紀元前520年10月頃からエルサレムで預言を語り初め紀元前518年11月で終えています。
預言者ハガイより2ヶ月遅れの預言であるところからきっと2人は面識があったに違いありません。
バビロンから帰国したユダヤ人、もちろんゼカリヤにとっても神殿再建は主要な関心ごとです。
しかしゼカリヤの考える「新たなエルサレム」は歴史を支配するヤハウェによって刷新され、罪や咎から清められた「ヤハウェの都」であり、全世界が集う礼拝の中心地でありました。

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