今年も恒例の聖ヤコブ幼稚園の「音楽発表会」が無事、楽しいうちに終了しました。
「こんなに大きくなりました。」
「こんなに歌も歌えます。」
「ともだちもたくさんできました。」
子どもたちは全身で表現しているようです。
年長さんが卒園してゆくのはうれしいことなのですがちょっぴりさみしくもあります。
何だか分からないけど、「音楽発表会」のとき目頭があつくなってきました。
さて、2月1日イスラム国を名乗るテロ集団に日本人ジャーナリスト後藤健二さんが拉致された上、殺害されました。キリスト者であった彼は日本を出発する際に「失われた羊、Lost sheep」の話をしたそうです。
「迷った羊がどのような行動をとったとしても迷っているという事実があるかぎり、探しに行かないなら良い羊飼いとはいえない」と言われたそうです。
戦争の悲惨さを戦地でのこどもたちの写真や映像を通して平和の大切さを伝えようとしていた後藤さんでした。
湯川遥菜さんとどこまで親しい間柄だったかはわかりません。でもたぶん後藤さんは相手の肩書きや自分の好き嫌いや感情的なものではないむしろ信仰的衝動として行動したのだと思います。自分の命をかけて友人を探しにゆくということは、中々できないことと思います。
世の中では数々のおぞましい事件が起こっています。この事件もそのひとつではあります。でもその中で今回の後藤健二さんの受けた悲惨の中に表現は適切なものではないかもしれませんが、何か希望的なものを見出すのです。
自分を殺そうとするものに武器を持って立ち向かうのでなく、平和の尊さを告げることしかしない。そして、無抵抗のまま殺されてゆく姿に、何か僕はそこに信仰者の高潔な姿を、キリストの愛の香を感じるのです。
この春に旅立ってゆく聖ヤコブ幼稚園の年長黄組さんの一人一人がすくすくと育ってゆくことを「正義と公平」の神さまに守られ「光の子として歩む」ことを祈念してやみません。
年中赤組の皆さん、年少桃組の皆さんは楽しい春休みを経て桜の咲くころ幼稚園にお兄さんお姉さんになって元気に幼稚園に帰ってくるのを楽しみにしています。
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・・ 聖句と今月のみことば ・・
「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。」
~ヨハネによる福音書10章3~4節~
イエスさまのたとえ話には日常的な生活のからお話が多いのですが、羊飼いを現代の私たちは日本で見ることがあまりありません。当時の羊飼いは少年の頃から羊と寝起きをともにして家族以外の人たちとはあまり付き合いがなかったそうです。人々からは個人の名前を呼ぶのではなくただ「羊飼い」と総称として呼んでいたと聞きます。飼われている羊にとっては面倒見てくれている羊飼いはまったく他の人間とは違って家族のように思っていたでしょう。羊が声を聞き分けてついてゆくのはあたりまえのことだったのでしょう。
イエスさまは「神さまもそのように人間の中に入っておられるのですよ。神さまの声を聞き分けてついていきなさい」と言われたのでしょうね。