一昨年の夏、尾瀬ではなく、上高地に行ってきました。夏休みと言えば昔から「夏=海」の公式が頭にありましたので、初めての上高地にすごく感動しました。
僕の幼稚園時代の夏休みは実に単純な毎日でした。
お昼寝のあと、水遊び(家には結構すてきな組み立て式プールがありました)プールから上がるとスイカを毎日井戸から引き揚げ廊下で切って、南向きの庭(庭が3つもある豪邸に住んでました)の縁側に座ってお腹一杯食べました。弟や友だちとスイカの種を飛ばしっこしました。
このお庭には、洗濯の物干しと花壇、そこにはバラ、ビワの木、イチジクの木、そして夏には、高さ3mもの木の塀いっぱいにアサガオが植えてありました。
特に自分が植えたアサガオが大きく見事に咲いたときはすごく嬉しかったのを覚えています。
また、ひまわりの花がとても大きく立派に咲いていた夏もありました。
夏の終わりを、ひまわりの種を取るときに、ツクツクボーシの鳴き声に感じました。
考えてみたら、夏休みどこかに行くようになったのはもっと大きくなってからでした。
小学生の頃は、小学校にプールが無かったので市民プールへ母に連れて行ってもらいました。
それも毎日毎日です。母には僕と弟が泳いでいる間、暑いプールサイドに日傘をさして2時間ばかり待ってもらいました。
小学校の高学年になって中学のプールを借りる授業の際には、おかげで僕も、弟も先生より長く泳げるようになっていました。
プールでは母の泳ぐ姿は見たことはありませんが、故郷に近い川(有田川)や海(和歌山)ではあります。父からは水難救助の方法、人工呼吸、心臓マッサージの講習を受けました。(ですからファースト・キスは父です)(*_*)
遠くに行かなくても、子どもにとって夏休みの素敵な思い出はできます。
何をするかが問題ではなく、誰とするかだと思います。
どこに行くかではなく、誰と行くかなのです。
何を食べるかではなく、誰と食べるかにかかっていると思います。
つまり、大好きな人となら何をしても、どこに行っても、何を食べても楽しい思い出となると思うのです。
すばらしい夏休みを過ごされますように。
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・・ 聖句と今月のみことば ・・
「 いかに幸いなことでしょう/あなたによって勇気を出し/心に広い道を見ている人は 」
新共同訳 詩篇第84章 6節
2300年以上も昔、ユダヤの民は、王国を失い、バビロン捕囚の苦難の中にありました。
けれども彼らは、「きっといつか憧れの故郷に帰って神殿を再建して神さまに感謝の祈りを捧げる日が来る。」そのような、預言者たち(特に第2イザヤ)の言葉を信じ、このような詩に歌いました。
「広い道」とは神さまに通じる荒野の道を指しているのでしょう。
険しくても神さまへの道なのです。