この世の悲しみや苦しみが多ければ多いほど、人間は必死で何か取りすがるものを求め始め人生の問いに答えてくれる思想を探し求めるものと思います。
人はその答えを文学、哲学や心理学と言う学問の中で探します。あるいは自分の抱える問題を直接解決してくれそうな神さまや宗教を求めたりします。
しかしそうした中で、答えを見つけられる人は、本当に少ないのではないでしょうか。
心と世の救いを求めた挙句が一部のカルト宗教などのように大きな犯罪に陥ることもあります。本当の神さまや生きる目的を見つけるということは実に大変なことと思います。
私の実家もキリスト教徒の家庭でなかったために本当のものを見つけるため苦労したこと苦い思い出として残っています。
祖母が熱狂的な日蓮宗の信者でありました。教会に通うこと日曜学校に通うことから反対されました。
人権に対する教育が十分でなかった時代でもあります。
ハンセン病の患者に対する差別や米軍進駐軍が残していった混血児対する差別、在日朝鮮人学校生徒に対する差別、部落地区に生まれた人々に対する差別や障害者に対する差別そして女性に対する差別等々です。
このような大きな罪の差別思想行為が当たり前のようにまかり通っていた時代でした。
ただ父は悲惨な戦争体験からあらゆる人々の自由と平等を説いてくれました。洗礼受けるときも聖職になると決意したときも反対しませんでした。結果、聖公会というキリスト教の一つに拾われた感がします。大学時代に禅宗に傾注したこともありましたが仏教では永遠の命について語られることはなかったし、心静かに世を受け流していける自分の悟りを重んじることに納得もできませんでした。
毎年クリスマスが近づくと思うのですが私たちには本当の神さまがいるということです。本当に生きる目的があるということです。永遠の希望もあります。ですから何故いろいろなことで思い煩い、希望を失い、闇の中から逃げ出せずにいる自分があるのだろうかということを反省します。
そしてキリスト教の真理を疑い、神さまの存在をイエス・キリストの行った奇跡や復活を疑い、再び闇の中に落ち込んでいるのを見ます。恥ずかしい話だと思います。私たちには、私たちのために命を差し出して救ってくださった神さまがいるのです。その神さまによって、永遠の命に導かれているのです。それなのにこの世のわずかな小さなことで思い悩みくよくよとしています。
しっかり目覚めて、闇を光に変えてくださる方を信じたいと思います。そして苦しみを喜びに変えたいと思います。救い主がやがてすぐにこの地上に現れます。そのことを待ちわびる季節になりました。それがアドベント降臨節です。
新たに希望を持たせてくれる救い主の到来を待ち望みながらこれから始まる降臨節を過ごしていきたいと思います。