今年の6月5日教会では「ペンテコステの日」(聖霊降臨日)と呼ばれています。
今年はと言ったのは、毎年日が変わるからなのです。
なぜなら毎年復活日(イースター)は3月21日以後の満月の後の最初の日曜日(主日)と決めています。もし満月が日曜日になってしまうときはその次の日曜日としています。つまりその年によって移動するのです。
「ペンテコステの日」(聖霊降臨日)はキリスト教会の3大祝日(他はイースターとクリスマス)のひとつと数えられている大切な日です。復活したイエスさまが40日の間お弟子さんたちと過ごし、「聖霊が降ると地の果てまでわたしの証人となる」といわれ弟子たちの見ている前で天に昇られました。その10日後、裏切り者のユダの代わりにマティアを弟子に加え使徒12人一同がひとつになって集まって祈っていました。
「2:1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2:2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。2:3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。2:5 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、2:6 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。2:7 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。2:8 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。」
使徒言行録 2章1節~8節
このとき何が彼らに起こったのか詳しく知ることは今のわたしたちには出来ません。でもこの日が教会にとって、とても大切な日であることは確かです。この日聖霊が特別な形で私たちの教会に与えられたからです。
ちなみに使徒言行録は、聖霊の福音書といわれます。それはとても聖霊についての記述が多いからです。
ところで「ペンテコステの日」を一般的に日本では「聖霊降臨日」と言う言葉で使われますが、「聖霊」がこの日はじめて生まれたかのような印象を受けてしまう危険性があるので気をつけたいと思います。
三位一体の神さまはイエスさまが世に降られる前から存在していたことは言うまでもないことです。神さまは永遠に父・子・聖霊なる方、昔いまし、今いまし、世々限りなくいます方です。
使徒言行録はこの点を明確にしています。聖霊はイエスさま誕生の1000年も前の頃のダビデの口を通して預言し(使徒言行録1:16)、聖霊は、預言者イザヤを通して、実に正しくあなたがたの先祖に語られた(使徒言行録28:25)と記述されています。
ステパノ(キリスト教伝道の最初の殉教者とされている人)はその説教の中で、ユダヤ人がその民族の歴史を通していつも聖霊に逆らってきたと非難しています。(使徒言行録7:51)ですからこのような意味で、聖霊はあらゆる年代で、神さまの真理と神さまのみ旨を啓示する神さまなのです。
そのことに加えペンテコステの日に上記にある特別なことが起きたのです。
この日から聖霊は初代教会を支配する実在の原動力となっていきました。聖霊は神さまの指導力の源泉でした。そして初代教会の指導者たちは聖霊に満ち溢れた人々でありました。聖霊のうちに生きていたといってもいいでしょう。聖霊はその日迫害の中にあってさえも勇気と力の源であったのでないでしょうか。
そして、また聖霊は「神が御自分に従う人々にお与えになる」(使徒言行録5:32)との記述があります。つまり大切なことは聖霊が与えられる度合いは人がいかなる人間であるかよって決められることではないでしょうか。
誠実に、神さまのみ心を行なおうと努力している人やキリストに従う人生を生きようとする人にますます聖霊が降るということなのでしょう。