園長先生のコラム

コラム 「 4人目の博士の話:クリスマス秘話 」

 今年も聖ヤコブ幼稚園では「ページェント」が行われました。子どもたちの一生懸命な姿には毎年新たな感動を覚えます。
登場人物に3人の博士「ガスパル、パルサザール、メルキオール」がいることは聖書にも書かれています。
ところが実は4人目の博士がいたという伝説があります。聖書にも残らなかった4人目の博士アルタバンのお話をしましょう。

 アルタバンは3人の博士たちとの待ち合わせの場所ボルシッパの丘を目指して馬を飛ばしていました。彼は馬鹿にする他の学者達をしり目にすべての財産を売り払い救い主(メシア=キリスト)にお捧げするサファイアとルビー、そして真珠の3つの宝石を携えていました。
ボルシッパの丘まであと少しの処で熱病に倒れている人に会います。彼は医師でもありました。倒れている彼を見捨てていくことができませんでした。数日間の看病をすることで約束の日に着くことができませんでした。おまけに無一文のこの病人に自分の旅の資金すべてを与えてしまいます。
約束したボルシッパの丘に着いても他の3人は出発したあとでした。アルタバンは大きな砂漠を超えるためのキャラバンを準備するため宝石サファイアを売らざるを得ませんでした。

 やっとの思いでベツレヘムに遅れて到着したときはすでにイエスさまとマリアさん、ヨセフさんの一行はエジプトに逃れたあとでした。3人の博士が捧げた宝の黄金、乳香、没薬は数年にわたるエジプトにおける逃避行の費用に充てることができたのでした。

 しかしベツレヘムの街ではアラブ人のヘロデという悪王が幼子たちを次々殺していました。3人の博士からユダヤの救世主誕生の話を地上の王つまり自分の地位を脅かす王の誕生と曲解したのでした。王になる赤ちゃんがどこのだれかわからないから2歳以下の男の子すべてを殺してしまえと命令したのです。
男の子の赤ちゃんを連れたご婦人からイエスさま一行がエジプトへ無事に逃げた話を聞いているそのとき兵隊の隊長が赤ちゃんの泣き声を聞きつけ調べに来ました。そこで大切な宝石のうちルビーを見せて「これでお目こぼしください」と渡してしまいました。「ここには赤ちゃんはいない。他をあたれ」と体調から命令がくだり兵隊たちは去ってゆきましたがまた一つ宝石が失われました。その後アルタバンはエジプト中をさまよい、後を追いますが中々会うことができませんでした。

 いつしかまたユダヤの地エルサレム近郊に来た時盗賊に襲われ大切な残る宝石の真珠を奪われてしまいます。勇気を振り絞り盗賊の後を追いかけ何とか取り返しますがその部落はエルサレムに住むことのできないホームレスの集団でした。
つまり、当時は病気や障がいを持った人たちは町に住めなかったのです。被差別の人たちだったのです。3日のつもりが1週間の滞在となりそして数ヶ月と時間が過ぎてゆきます。アルタバンは事の問題は農作物を生産することの知識が人々にないことに気が付きます。そして一大決心をしました。残った最後の宝石の真珠を村の長に渡して農耕をする資金にするよう依頼して自分は農業の指導者と医師として生涯を捧げることにしました。
幾多の困難を乗り越えユダヤに来て33年の月日が経ちました。その間には故郷の貿易商を営んでいる古い友人が訪ねてきて父が失意のうちに亡くなったことを伝えられてもこの地で苦しんでいる人々を見捨てて故郷に帰ることはしませんでした。

 ある日それは春の過ぎ越しの祭りの日でした。イエスさまが目の不自由な人を見えるようしたという奇跡を行い町中が大騒ぎと言うことを聴きつけました。33年も追いかけていたメシアに会いたい気持ちだったのですが「自分にはもうお捧げする宝が無い」と諦めていた時部落の長が「わたしには到底売ることができなかったのです」と真珠が渡されます。歓呼の声に送られながら部落去ってイエス・キリストに会いに出かけます。ところがエルサレムの都は大騒ぎでした。イエスさまが十字架刑に処されるところでした。群衆にまぎれてなんとか真珠でお目こぼしを願い出ようとしたところ以前の貿易商の友人の娘と出会います。娘は貿易の船の難破で破産し借金のため売られてゆくところでした。アルタバンは見かねて真珠を手渡し借金を帳消しにしてもらいます。

 ゴルゴタの丘には十字架が3つたてられ真中にイエスさま、両脇には強盗2人でした。それを見たアルタバンは祈ります。
「わたしの追いかけたメシアイエスさまとうとうお会いできませんでした。3つの宝石もお捧げできませんでした。私をおゆるしください。」

 天からみ声が届きます。
「アルタバンよ。大丈夫です。あなたの捧げものはすべてわたしは受け取っている。これらわたしの小さな兄弟にしてくれたことはわたしにしてくれたことなのです。」
「今日一緒にパラダイスにいきましょう」

 アルタバンは最後の笑みを浮かべ息絶えたのでした。

『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
マタイによる福音書25章40節

カテゴリー: 園長先生のコラム パーマリンク