毎年この頃になると、喪中のはがきが届きます。
「ああ、お亡くなりになったのか、お元気だったのになあ・・・」と、ふっとお元気だったころのことを思い出すものです。
キリスト教的には家族の誰かが逝去しても「年賀状をだしてはならない」と言う風な規定はありませんが日本の一つの風習文化にならい多くのキリスト者も出すようです。
ちなみに喪中に関係なくクリスマスカードや年賀状を出される方も多くいます。
さて早いものでもう12月です。2019年が暮れようとしています。
今年は元号も平成から令和へと変わる年でもありました。
自分にとってもたくさんの大切な方々とのお別れの多かった年となりました。
今この原稿を書いている現在(11月26日現在)で思い出してみました。
2月には、心の師匠である筑波大学院名誉教授大濱徹也博士の突然のお別れがありました。猛烈な寒さの北海道にて心も凍えていました。
5月には嘘ばかりの人生を歩んでいたために他教団にも愛想をつかれ教会からも追放された大学の恩師の奥さまの通夜葬式をまた札幌で牧師と故人の友人の3人で行いました。
9月には僕が幼いころから教会で聖書のお話をしてくれた日曜学校の先生がご逝去されました。
11月には40年来の親友のご母堂の訃報に接しました。
また福井時代の幼稚園協会仲間の急逝に悲しみを禁じ得ません。
そして、今年だけで3名の同じ司祭仲間も天に召されてゆきました。
19年前ちょうど今頃でした、ガン末期患者であった母が「イエスさまがもうすぐ来られる。」と苦痛の中にも希望をもって病室で祈っていた姿を思い出します。
寝ているのではなく目覚めて、闇を光に変えてくださる方を信じたいと思います。
そして今ある苦しみを喜びに変えたいと思います。
救い主がやがてすぐにこの地上に現れるからです。そのことを待ちわびる季節(アドベント)になりました。
新たに希望を持たせてくれる救い主の到来を待ち望みながら、今日から始まる降臨節を過ごしていきたいと思います。
「このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
~ 聖マタイによる福音書第24章43節 ~