園長先生のコラム

コラム 【 2017年5月号 】 「 憲法に思う 」

風が爽やかな季節となってきました。そしてゴールデンウィークの到来です。
5月3日は憲法記念日、今年は「日本国憲法」が1947年に発布されてちょうど70周年の節目をむかえます。NHKをはじめテレビ各局が特集番組を組んで憲法改正をめぐる論議がなされています。

僕が非常勤で勤務している名古屋の金城学院大学にT先生がいます。
彼と知り合って3年になります。年齢は僕より20年も若い憲法学者です。
ときどき昼食をともにしてお話するようになり、昨年から他の友人も含め5月の連休直前の水曜(彼と僕の講義のある日)に名古屋で夕食をとりながら「憲法談義」をしています。
昨年は、「憲法と閣議決定」「集団的自衛権とは」というテーマでした。
今年は、「靖国神社とA級戦犯合祀の問題」「ヘイトスピーチと表現の自由」という風にテーマを決めて意見を交わすのです。
昨日、NHKのニュースで憲法改正についてのアンケート結果の報告がありました。「憲法改正についての論議が充分になされているか」との問いに3分の2以上の国民の皆さんが「充分論議されていない」と回答したと聴きました。
憲法改正が言われて久しいのですが、国民に論議する充分な時間と情報を与えて欲しいと思っています。
憲法改正案の1つに「高等教育無償化」が与野党ともに構想に在ると聴きました。
ことに大学の授業料を無償化することによって貧しい家庭の子どもに大学進学の機会をという発想らしいのですが、本当にそうなるのでしょうか?
憲法で保障しなければならない案件なのでしょうか?
もちろん幼稚園の保育料無償化は自分も運動してきました。でも、大学はちょっと違うと思うのです。
大学に通う学生の費用は授業料だけではありません。
少子化の中、より有名大学への進学競争が激化し、都会の大学に学生が殺到したとしたら、生活費や授業料以外の経費はかえって貧困家庭には進学困難な状況を生み出し、成績優秀にもかかわらず大学に進学できず就労した若者の税金で、比較的裕福な学生の授業料を負担することにはならないかと危惧します。
むしろ、憲法で保障されている教育の機会均等(26条)を考えるならば、奨学金の更なる充実を推進するべきと思うには僕だけではないと思います。

70周年を迎えた「憲法の日」国民のため、個人の自由と平等、公平を守って個人を成長させてくれる憲法のあり方を考えたいと思います。

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・・ 年主題聖句 ・・

「あなたがたは神に愛されている子どもです。」
~エフェソ 5章1節~

「天上天下唯我独尊」という言葉があります。「天に於いても地においても私という存在は独りであるがゆえに尊い存在である」という意味です。どんなに辛いとき寂しいときでさえも自分は神さまに愛されている存在、神さまの子どもとして生かされていると信じたいものです。

・・ 聖句と今月のみことば ・・

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」
~コリントの信徒への手紙 Ⅱ 4章18節~

仏教経典の般若心経に「色即是空」という言葉があります。「私たち五感げ感じるすべてのものは在るように見えて実はすべて空なのです。ですから見えるからというってそれがそこに在るとは限らない。」「真理とは見えないところにこそある」というような教えです。私たちはとかく見えるものを追い求め物質的な豊かさを追求しがちですが、使徒聖パウロは見えないものこそに宝が潜んでいるというのです。それは「信仰」や「希望」、そして「愛」なのではないでしょうか。

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