毎年2月2日は教会の暦で「被献日」という日です。
12月25日のイエスさまの誕生から数えて40日目にあたります。
古来よりユダヤのモーセの律法では生後40日目に神殿の感謝の祈りを捧げるとともに男の子を産んだ場合「その子を神に捧げる」という意味で宮もうでに行く慣わしがありました。
現代の教会では「産後感謝式」という形をとって教会にてその伝統が受け継がれていると言えます。
ただ、教会の長い歴史の中でマリアさまが我が子イエスさまを神さまに本当にすべてを捧げたことを強調するあまりにマリアさまがイエスさまより前面に出てきてしまったとも言えます。
ことに日本聖公会(聖ヤコブ教会の属する教団)婦人会が1920年の被献日に成立したこともあって、「婦人会の日」にもなっています。
神さまに捧げられたのは幼子イエスさまであって「捧げたマリアさま」に重きが移るより「幼子を捧げる」という意味を大切にしたいと思います。
子どもが神さまから授かった存在であるということ神さまから与えられたという認識は皆さま方もご異存はないとぞんじます。
どんなに子どもが欲しくてもときとして中々与えられないこともあります。
そして与えられた子どもは決して自分のものではありません。
当たり前のことなのですが、子どもは成長しやがて親元から離れていきます。
そのやがては成長し離れてゆく子どもに愛情を注いでゆくことが親としての責任でもあるわけです。
「育てられた恩を決して忘れるな」ということもなく、別に見返り欲しさに育てるわけでもない「ただただ愛して育てる」のです。
マリアさまは神さまに子どもを捧げきりました。
子どもとの別離で一番厳しいのは神さまにわが子を捧げきることではないでしょうか。
マリアさまは幼子イエスさまを捧げたときシメオンという人から「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」ルカ2:35と言われました。
そのとおり、マリアさまはきっと苦難に満ちたご生涯であっただろうと想像に難くはありません。
ローマの聖ペテロ大聖堂入り口のミケランジェロ作のピエタ像を初めて見たときの感動は忘れられません。
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
・・ 年主題聖句 ・・
「キリストはわたしたちの平和であります。」
~エフェソ 2章14節~
エフェソの信徒への手紙2章11節から22節は「キリストにおいて1つとなる」をテーマに書かれています。一致というのはこの書のテーマでもあります。「平和」の概念はギリシャ語ではおよそ戦争がない時期のことをいいますが平和(シャローム)は神の「真実」や「契約」などとともに用いられ「時期」よりむしろ平和な「関係」を示す語といえます。
・・ 聖句と今月のみことば ・・
「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」
~コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章18節~
現代の聖書神学では、使徒聖パウロがコリント宛に書いた手紙はA.B.C.Dの4通と言われています。そのうちAの最初の手紙とCの手紙は失われていてDの最後の手紙が今月のコリントの信徒への手紙Ⅱと言われています。パウロの手紙はほとんどが何らかの形で公的意味合いが強くパーソナルな部分がほとんどない中にあって本書はかなり他の手紙に比べ個人的な色あいを帯びているように思えます。
その内容はパウロほどの大使徒であっても苦難や試練にあわなければならないのかと驚かされます。さらにパウロの逆説的発想についても驚かされるのです。