数年前から我が家では「憩(イコ)」という中型室内犬を飼っています。
犬種はウェルシュ・コーギー・ペンブロークという英国のエリザベス女王も飼われていらっしゃる云わばロイヤル・ドッグです。
胴長短足なのですがもともと牛飼いの手伝いをする犬ですので結構すばしこく走り廻ります。
(ちなみにイコは持久力がなくすぐバテます)
犬を飼うようになってから知ったのですが、犬にも「犬の学校」や「犬の躾教室」などがあり
ときどきイコにも行かせています。
先日、躾のためといって北海道で自分の息子を山に置き去りにしてしまったニュースが流れました。
無事に見つかって本当によかったと子を持つ親だけでなくすべての人々が安堵しました。
安堵しながらも「置き去り」にしたことへの是非も論議されました。
一方、我が子の育児放棄や虐待の悲しい事件も後を絶ちません。
自分も「子育て」していたころ感情に負けて躾や教育というより怒りの方が勝って声を荒げてしまったこと(今でも時折してしまう)を反省します。
何度注意しても同じことを子どもが繰り返しますと「何度言えば分かるの?」と腹が立つのですが、子どもの側からすると叱られたことによって親との距離が開いているわけですから
「親の言うことを聞く」ゆとりがありません。
したがって「何度言っても分からない」という状態が続きます。
つまり、怒っている父や母は「大好きな父や母」ではなく「大嫌いな父や母」なのです。
嫌いな人の言うことを聞くわけありません。話の理解もできません。
子どもだけでなく人は褒められると嬉しくなります。
聞くところによると脳内にドーパミンという物質が出て気分が大変よくなると言うことです。
動物でも言うことを聞かせるために「調教」します。
猛獣はともかく叱ってとか体罰を与える方法はとっていないようです。
うまくできれば「ご褒美」を与える方が効果的のようです。
穏やかな顔でやさしく接することで子どもとの距離を縮めたうえで
「大好きなお父さんやお母さん」状態のとき「親の言うこと」を聞くのでしょうね。
中々できないのですが「何何してやったのに」この「のに」がつくとそこに愛があるとは言えず
どうしても「見返り」を求めているように見えます。
子育てに成功したとは言えない反省ばかりの幼稚園長の正直な見解です。
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・・ 年主題聖句 ・・
「キリストはわたしたちの平和であります。」
~エフェソ 2章14節~
エフェソの信徒への手紙2章11節から22節は「キリストにおいて1つとなる」をテーマに書かれています。一致というのはこの書のテーマでもあります。「平和」の概念はギリシャ語ではおよそ戦争がない時期のことをいいますが平和(シャローム)は神の「真実」や「契約」などとともに用いられ「時期」よりむしろ平和な「関係」を示す語といえます。
・・ 聖句と今月のみことば ・・
「探しなさい。そうすれば、見つかる。」
~マタイによる福音書7章7節~
マタイによる福音書の7章7節全文は「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」
「求めよ」「探せ」「門をたたけ」この3つセットで考えていいと思います。
つまり、神さまに対してはまさに真剣に取り組むべきとイエスさま自身がおっしゃったのです。ルカによる福音書の同じ内容の箇所(並行箇所といいます)では「主の祈り」の授与が直前にあるところから信仰生活の本質ともいえるのではないでしょうか。